私にとっての大震災

日記

3/11

地震発生時、私は歯科医院の診察台の上に寝ていた。院内の壁がばらばらと崩れ落ちてゆく。約1、2時間して歩ける状態になったころ無我夢中で帰宅。パニック映画の場面を見ているようだ。娘と妻は北海道、息子は千葉(後でわかった)。室内は物が散乱し、危険なため土足のままであがって安全を確認。防寒着を重ね着して、枕元に靴を置き、真っ暗闇の布団にもぐりこむ。AMラジオのイヤフォンを付けたまま。余震のためほとんど眠れず。

3/12

一日何をしたか良く覚えていない。あっという間にまた暗い夜がきた。電話、携帯は一切使えず。冷蔵庫に残っていた冷たい余り物を口に突っこみ、また昨夜と同じように布団にもぐり込む。近隣の方がたも皆同じ状況だったようだ。

3/13

地震発生から2日あまり経ち、さきほど電気が復旧した。テレビで東北の惨状を見て愕然とする。電気の復旧に伴って圏外であった携帯が開通し、やっと県内外にいる家族と連絡が取れた。これで寒い暗闇の夜はなくなる。でも、水道はまだ。それに、まだ余震がある。県内の高速道路は全線不通のまま。電車は常磐線取手まで。明日、土浦まで各駅停車のみ間引き運転の見通し。その先は見通し立たず。今朝7時に家を出て、ガソリンを求めて街中に出たところ、開いていたガソリンスタンドには既に長蛇の列。3000円限定で給油し終わったのは10時過ぎ。コンビニは補給がないため皆閉店、スーパーも同じような状況。市内はほとんど信号が消えているので危ない。ときどき火災も発生している。自衛隊、消防、警察の車両が頻繁にサイレンを鳴らしながら走っている。信号が消えても譲り合って走る自動車もあれば、水、食料、燃料を求めて我先にと醜い面を晒す人間模様も見た。

3/14

北海道にいた家内と娘は、前日飛行機で東京まで戻り都内に一泊。今日、つくばエクスプレスでつくばまで約1持間で移動し、さらにバスで2.5時間で水戸に到着。自家用車で迎えに行き再会。

3/15

依然として断水。上水設備が損壊したため、市内の水道は当分復旧の見込みが立たない模様。我が家は、自衛隊の給水車が2Kmぐらいのところにある中学校に来てくれているので、それに頼る。給水車のコックを開けて給水してくる間、対応してくれた若い自衛隊員に聞いたところ「一人2リットルは目分量ですよ(^^)」と笑いながら、持っていった10リットルのタンクを満タンにして返してくれた。<(_ _)>

3/16

(無)計画停電は、茨城、千葉被災地が対象外となる。当然だろう。本日より、最高速度50Km/hながら常磐高速が水戸IC以南が開通。ガソリン不足は深刻のようだ。給油待ちの長い車の列が渋滞や事故を呼ぶ。JR常磐線は依然として上野ー取手間のみ。当地は、福島の現場から100Km以上南にあるものの、原子力事故が気になる。

3/17

今日は、壊れたものを特別に設けられた災害ゴミ捨て場に捨ててきた。自治体によって搬入できるゴミの種類は違うが、当地では、瓦、ブロック壁、大谷石、家電(リサイクル対象品のテレビ、パソコン、冷蔵庫などをのぞく)、家具、ガラス、陶器となっていた。気になる原子力事故の影響は、近辺に常設されている放射線監視点で10分間隔で測定される結果を参考にしている。

茨城県環境放射線監視センター発表 空間線量率・風向・風速 測定結果・一覧

http://www.houshasen-pref-ibaraki.jp/present/result01.html

3/18

1週間経ったが、まだ断水状態。今日からJR常磐線が土浦まで開通(各駅停車のみ40%運転)するとのこと。14:46黙祷。

3/19

断水が続く。今日は近所の川にトイレ用の水を汲みに2回(30リットル/1回)行く。普段、飲める水をトイレに流しているのはつくづくもったいないことだ。19:00ごろ震度5弱の余震。

3/20

防災無線にて、通水試験が始まったとのアナウンスがあったので期待したが、今日も断水。原子炉は依然として予断を許さない状況が続く。農産物や水から放射性物質が検出された。

3/21

未明に、ひたちなか市近辺で、今までになく高い放射線レベルを観測した。昨夜はドライベントは当面行わないという発表だったので不安になる。今日も断水。常磐線は不通。ストレスが溜まってきた。

3/22

朝、待望の水道が復旧した。濁りもなく、早速入浴した。

写真

室内は物が散乱。唯一の情報源、防災無線が落ちてぶら下がりながらも、動いてくれている。

震災直後、思わず自分撮りしていた。

震災直後、思わず自分撮りしていた。

大谷石づくりの塀は被害を受けている場合が多い。(3/14)

大谷石づくりの塀は被害を受けている場合が多い。

道路はいたるところ亀裂、マンホールの隆起、陥没、水道管の破裂。(3/12)

道路はいたるところ亀裂、マンホールの隆起、陥没、水道管の破裂。

液状化?地面にカニの穴状の穴が開いて水が噴出した後(3/14)

液状化?地面にカニの穴状の穴が開いて水が噴出した後

拙宅は太陽光による床暖房・給湯の設備があり、その貯湯槽に300リットルの水道水がある。この水を、キャンプ用の10リットルのタンクに移し変えて生活水としてしのいでいる。飲用水は1人あたり2リットルの配給にたよっている。

拙宅は太陽光による床暖房・給湯の設備があり、その貯湯槽に300リットルの水道水がある。この水を、キャンプ用の10リットルのタンクに移し変えて生活水としてしのいでいる。飲用水は1人あたり2リットルの配給にたよっている。

近所の湧き水(飲用可否不明)をクーラーボックスに汲んできて、トイレの水として利用。用をたした後は1Lの紙パック半分にこの水を汲んで流すルール。

近所の湧き水(飲用可否不明)をクーラーボックスに汲んできて、トイレの水として利用。用をたした後は1Lの紙パック半分にこの水を汲んで流すルール。

近所の中学校の校庭。地震発生後9日間お世話になった給水所も次第に余裕が出てきた。当初1人あたり2リットルだったものが1週間ほどで4リットルに増えた。(3/19)

中学校の校庭。地震発生後9日間お世話になった給水所も次第に余裕が出てきた。当初1人あたり2リットルだったものが1週間ほどで4リットルに増えた。

携帯電話の補助電源は単三電池2本では足りない。4本タイプがあればよかった。でも、震災発生直後は回線輻輳のため不通、その後は基地局のバックアップ電源ダウンのため圏外になってしまったため、携帯は役に立たなかった。結局、電力会社による電気の供給が通信の可否を支配している。

携帯電話の補助電源は単三電池2本では足りない。4本タイプがあればよかった。でも、震災発生直後は回線輻輳のため不通、その後は基地局のバックアップ電源ダウンのため圏外になってしまったため、携帯は役に立たなかった。結局、電力会社による電気の供給が通信の可否を支配している。

一番役に立った情報源は、このカード型AMラジオ。リチュウム・ボタン電池仕様で、つけっぱなし状態(第一夜めは夜も含め)7日目で、まだ聞こえる。ニュース源は、ローカルラジオ局とNHKラジオ第一が頼りになる。

一番役に立った情報源は、このカード型AMラジオ。リチュウム・ボタン電池仕様で、つけっぱなし状態(第一夜めは夜も含め)7日目で、まだ聞こえる。ニュース源は、ローカルラジオ局とNHKラジオ第一が頼りになる。

近所の方が見せてくれた手製のソーラー・ランタン?本来は門灯用のものを改造。昼間の充電で一晩十分に光り続けるとのこと。(3/16)

近所の方が見せてくれた手製のソーラー・ランタン?本来は門灯用のものを改造。昼間の充電で一晩十分に光り続けるとのこと。

わずかに開店しているスーパーの前には長蛇の列。1人づつの入場制限。(3/15)

わずかに開店しているスーパーの前には長蛇の列。1人づつの入場制限。

水戸駅南口前の桜川にかかる橋。水戸駅舎、南口ー北口間自由通路、ペデストリアンデッキは損傷が激しく危険なため立ち入り禁止。普段は人や車がと絶えることがない駅前だが、閑散としている。(3/15)

水戸駅南口前の桜川にかかる橋。水戸駅舎、南口ー北口間自由通路、ペデストリアンデッキは損傷が激しく危険なため立ち入り禁止。普段は人や車がと絶えることがない駅前だが、閑散としている。

JR常磐線水戸駅ー勝田駅間は県内で一番被害が大きかったらしい。手前側が勝田、正面が那珂川に架かる橋を挟んで水戸駅側。10日過ぎてもまだ不通。

JR常磐線水戸駅ー勝田駅間は県内で一番被害が大きかったらしい。手前側が勝田、正面が那珂川に架かる橋を挟んで水戸駅側。10日過ぎてもまだ不通。

落ちて壊れてしまったが、ゴミとして棄てずにとっておくことしにした。

ゴミとして棄てずにとっておくことしにした。

ディズニーシーにいた息子が撮った写真。液状化!

放射線

16日朝に観測された放射線量の上昇

16日朝に観測された放射線量の上昇

21日未明に観測された放射線量の上昇

21日未明に観測された放射線量の上昇

過去の大地震

山口文夫様よりいただいた方丈記の紹介文

鴨長明は平安末期に生じた大地震に関して記しております。900年前の地震が今回の地震と非常によく似ていることには驚きます。
このなかで最後の部分は非常に考えさせられました。現代語で表すと『地震直後は、みながこの世の頼りなく、つまらないことを話し合って、愚かしい欲望や執着も自然に脱落して、心の濁りも多少は薄らぐかと思われたが、月日かさなり、年経にしのちは、地震のことなどすっかり忘れてしまって、言葉に出していう人さえいない。』という趣旨です。

鴨長明・方丈記:震災記:元暦二年(1185)の大地震 

おびただしく大地震ふること侍りき。そのさま、世の常ならず。山は崩れて河を埋み、海は傾きて(=津波)陸地をひたせり。土裂けて水涌き出で、巌割れて(=がけ崩れ)谷にまろび(=ころがる)入る。なぎさ漕ぐ船は波にただよひ、道行く馬はあしの立ちど(=踏み場)をまどはす。都のほとりには、在々所々(=到る所)、堂舎塔楼、一つとして全からず。或はくづれ、或はたふれぬ。塵灰たちのぼりて、盛りなる煙の如し。地の動き、家のやぶるゝ音、雷にことならず。家の内にをれば、忽ち(=たちまち)にひしげなんとす(=おしつぶされそうになる)。走り出づれば、地割れ裂く。羽なければ、空をも飛ぶべからず。龍ならばや(=竜でありたいものだ)、雲に乗らむ。恐れのなかに恐るべかりけるは、只地震なりけりとこそ覚え侍りしか。(=恐ろしい事のなかでも、ことに恐ろしいのは、ただこの地震というものだったんだと痛感したことだった。)
 かく、おびただしくふる事は、しばしにて止みにしかども、その余波、しばしは絶えず。よのつね、驚くほどの地震、ニ三十度ふらぬ日はなし。
十日・廿日過ぎにしかば、やうやう間遠になりて、或るは四五度、二三度、もしは一日まぜ(=一日おきに)、二三日に一度など、おほかたその余波、三月ばかりや侍りけむ。
 四大種(=地・水・火・風)のなかに、水・火・風はつねに害をなせど、大地にいたりては異なる変なさず。昔、斎衡のころとか(=斎衡二年(855)五月に地震があってその時、東大寺の大仏の首が落ちた)、大地震ふりて東大寺の仏の御首落ちなど、いみじき事どもはべりけれど(=大変なことがいろいろあったけれども)、なほこの度には如かずとぞ(=それでも今度ほどではなかったということである)。すなはちは(=当座は)、人みなあぢきなき事をのべて(=みながこの世の頼りなく頼りなくつまらないことを話し合って、愚かしい欲望や執着も自然に脱落して)、いささか心の濁りもうすらぐと見えしかど(=心の濁りも多少は薄らぐかと思われたが)、月日かさなり、年経にしのちは、ことばにかけて言ひ出づる人だになし(=地震のことなどすっかり忘れてしまって、言葉に出していう人さえいない)。

2011年03月21日 14時19分